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映画と落ちること(1.縦の世界=垂直の運動)
映画の神話学
蓮實重彦
1979

p222より
 映画は、縦の世界を垂直に貫く運動に徹底して無力である。上昇とか落下とか、とにかく上下に位置を移動する対象をその垂直なる運動として表彰しえたイメージと音の蓄積というものは驚くほど貧しい。その貧しさは、いうまでもなく映画の物質的=技術的な条件に左右されている。

 人間の視覚機能に相応しくスクリーンは横長の長方形である。自由奔放なカメラワーク、と言いながらそのほとんどが横移動かそのヴァリエーションに過ぎない。要するに、映画が捉える対象はそう簡単には上下に動いてはくれないのだ。逆に言うと、縦の運動を捉えようとするとき、映画自らの限界を露呈せざるを得ない。
 上下のパン(パノラミック撮影)を思いだそう。ロケットの発射シーンなどで用いられるが、それは上昇運動を表現するというよりも、あくまで画面の奥へと遠ざかっていくという「深さ」や「遠さ」(被写体がしだいに小さくなっていく)の意識を強調することになり、それを補うべく、その被写体を見上げる地上の人間を「俯瞰撮影」で挿入していく。つまり、地上の人間の視線の方向によって、被写体の上昇を表現するわけだ。30年代ハリウッド映画が制度化した「構図=逆構図」の1つのヴァリエーションとして、この俯瞰=仰角がある。

p225より
 論理的には俯瞰と対をなすかにみえる仰角は、したがって俯瞰と対等な関係にあるのではなく、ほとんどの場合、カメラ自身が前者を統禦するという優位と劣勢の関係にあるといえるだろう。

 ここで著者は「制度たる映画の限界へと挑戦」する作家として、ラオール・ウォルシュを挙げる。ここでの「映画の限界」とは、縦の世界を垂直に貫く運動に対してカメラが徹底して無力でしかない、という事実である。ウォルシュは、仰角に対する俯瞰の優位を意識的に制度化する。ウォルシュ的犯罪活劇の俯瞰シーンは、「それが効果的であればあるほどシニックなかたちで、垂直の運動に対する映画の敗北を肯定していることになる。見おろすこと。それが見上げることに較べてはるかに自然ないとなみだと思われるのは、まさにその一点に映画の限界が露呈している」のだ。あらゆる俯瞰には映画のシニシズムが付いてまわる。
(参考作品)『イカロスの失墜』、『チェルシー・ガールズ』、『偉大なるアンバースン』、『ウィークエンド』、『ラヴェンダー・ヒル・モッブ』、『つばさ』、『ハイ・シェラ』、『死の谷』、『大雷雨』、『白熱』、『駅馬車』
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