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映画と落ちること(5.落ちずにいること)
映画の神話学
蓮實重彦
1979

p264より
 ヒッチコックにあって真に問題なのは、落下の主題ではなく宙吊りの主題にほかならず、しかも宙吊りの主題は、落下のそれに従属するものではなく、むしろ落下の主題を拒絶する肯定的な身振りの実現なのである。宙吊り、つまりサスペンスとは、危険の増大にみあったかたちで主題化される相対的な劇的状況ではなく、危険を徹底的に拒否することで実現される積極的な身振りなのだ。

 墜落する直前に救出される、元刑事が屋根から落ちずに何の説明もないまま次の画面では地上に無傷で立っている、墜落寸前の者たちが嘘のように救われる。この荒唐無稽な楽天性がヒッチコック的世界である。極言すれば、ヒッチコック的作品では、人は落ちないのだ。落ちそうで落ちないからサスペンスが醸成されるのではなく、絶対に落ちないことが徹底して貫かれているがゆえに緊張を孕んだ光景を形づくるのである。



p266より
 宙吊りの姿勢を耐える者たちは、かろうじて指さきで大地にしがみついているのではなく、逆に指さき一つで大地を支えている永遠の軽業師なのである。ヒッチコック的な宙吊りの主題は、少なくともわれわれにそう信じこませる楽天性の&#39002;倒現象を映画に導入したということができるだろう。(中略)ヒッチコック的作品が顕在化せしめるこうした逆説は、おそらく、映画を、人間の想像力の祖型的な配置への従属から解放する一つの契機ともなるだろう。(中略)映画のみに有能なる想像力というか、むしろ映画を不断に遭遇しつづけることで形成される想像力というものが存在するのだ。(中略)しかし、失墜だの転落だのをめぐる神話はあらゆる地域の物語として語りつがれ幾重にも変奏されていながら、そこに落ちずにいることの積極的な意味を語る挿話などあっただろうか。サスペンスこそ、映画にふさわしい想像力の典型であり、映画によってはぐくまれ映画によって助長されもする神話的な主題なのである。それは現実にも存在する未決定状態のはりつめた持続を映画的に反映したものではなく、映画によって物理的にも心理的にも発見された想像力の典型なのだ。

 人間が空中に浮遊する、という映画は数多くある。だが、いきなり天井から逆さにつりさがってタップを踏んで踊りまわる、という荒唐無稽な振る舞いをしたのは、『恋愛準決勝戦』のフレッド・アステアだ。撮影のトリックはすぐに割れるが、重要なのは、この重力の方向転換という現象は、映画以外の領域において人間が出会ったためしがない、つまり映画によって可能になった想像力の表出だからである。この映画にのみ可能な夢は、ワンシーン=ワンショットで撮影されており、「編集」が入るこむ余地はない。このことの意義は大きい。なぜなら、編集が介在した途端、この画面がたちどころに夢であることをやめ、映画の退屈さが露呈するからだ。



p273より
 落下の主題は、編集、移動、スローモーション、クレーンといった自覚されざる映画的シニシズムが総動員されることで虚構の徹底化をはばみ、映画を制度化された想像力に従属させるものであり、落ちずにいること、つまり宙吊りの主題の過激なる実現としての落ちざることの主題は、長まわしによるワンシーン=ワンショットというもっとも素朴な、つまりは映画的特性の思考の身振りによって、虚構の徹底化をおし進めるという事実を明らかにするからである。
 縦の世界を垂直に貫く運動にさからってそれを超えること。つまり落ちずにいること。映画以外に起源を持たないこの不実にして過激なる欲望は、まさしく映画の限界そのものを映画自身につげる起源なき映画的想像力の反復を実践する。そしてその荒唐無稽なる反復と向かいあうとき、ほとんど倫理的とさえいってよかろう映画の透明な輝きがあたりの視線という視線を無効にするのだ。映画は落ちるものを見たりする瞳をそなえてはいない。それを目にしたかに錯覚する映画は、自覚されざるシニシズムを楽天的に蔓延させるばかりだ。人が映画として見たと信じこむのはこの蔓延する楽天性にほかならない。シニシズムに自覚的なる映画は落ちるものを見ようとしたりはしない。そして、落ちるものを目にはしまいとする映画に注がれようとする視線は、あらかじめ無効にされているのだ。だからこそ映画を見ることはあらかじめ禁じられたいとなみというべきなのだ。たかだか見えている映画を見ることほど楽天的な試みもまたあるまい。だが、その楽天的な試みすらが容易でないところに、映画の真の悲劇性があるといえるだろう。
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